Archive for 5月, 2023

13歳未満の子どもは自転車で歩道を走行して良いです。 ただし、条件があります。 ・車道寄りを走る ・ゆっくり進む ・歩行者優先 道路交通法に書いてあります 私が上記に貼ったのは警視庁のリンクなんですが(画像も警視庁のサイトから)、「法律ではどうなってるの?」という反応もありました。 えーと、法律では、道路交通法の第六十三条の四(普通自転車の歩道通行)に書いてあります。読んで欲しいところだけ赤くします。 “ 第六十三条の四 普通自転車は、次に掲げるときは、第十七条第一項の規定にかかわらず、歩道を通行することができる。ただし、警察官等が歩行者の安全を確保するため必要があると認めて当該歩道を通行してはならない旨を指示したときは、この限りでない。 一 道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき。 二 当該普通自転車の運転者が、児童、幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき。 三 前二号に掲げるもののほか、車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき。 2 前項の場合において、普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(道路標識等により普通自転車が通行すべき部分として指定された部分(以下この項において「普通自転車通行指定部分」という。)があるときは、当該普通自転車通行指定部分)を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない。ただし、普通自転車通行指定部分については、当該普通自転車通行指定部分を通行し、又は通行しようとする歩行者がないときは、歩道の状況に応じた安全な速度と方法で進行することができる。 (引用:道路交通法 | e-Gov法令検索) ” ※児童=小学生(6~12歳)、幼児=就学前の子(1歳~6歳)です 「子どもは歩道を自転車で走行しても良いよ!でもゆっくりね!歩行者が優先だから、もし自転車が歩行者の邪魔になりそうだったら、ちゃんと停まって歩行者を先に行かせてあげてね!!」ということですね。

Posted by tamura on 29th 5月 2023 in Tumblr

petapeta:

13歳未満の子どもは自転車で歩道を走行して良いです。
ただし、条件があります。
・車道寄りを走る
・ゆっくり進む
・歩行者優先

道路交通法に書いてあります
私が上記に貼ったのは警視庁のリンクなんですが(画像も警視庁のサイトから)、「法律ではどうなってるの?」という反応もありました。

えーと、法律では、道路交通法の第六十三条の四(普通自転車の歩道通行)に書いてあります。読んで欲しいところだけ赤くします。

第六十三条の四 普通自転車は、次に掲げるときは、第十七条第一項の規定にかかわらず、歩道を通行することができる。ただし、警察官等が歩行者の安全を確保するため必要があると認めて当該歩道を通行してはならない旨を指示したときは、この限りでない。
一 道路標識等により普通自転車が当該歩道を通行することができることとされているとき。
二 当該普通自転車の運転者が、児童、幼児その他の普通自転車により車道を通行することが危険であると認められるものとして政令で定める者であるとき。
三 前二号に掲げるもののほか、車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき。

2 前項の場合において、普通自転車は、当該歩道の中央から車道寄りの部分(道路標識等により普通自転車が通行すべき部分として指定された部分(以下この項において「普通自転車通行指定部分」という。)があるときは、当該普通自転車通行指定部分)を徐行しなければならず、また、普通自転車の進行が歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない。ただし、普通自転車通行指定部分については、当該普通自転車通行指定部分を通行し、又は通行しようとする歩行者がないときは、歩道の状況に応じた安全な速度と方法で進行することができる。
(引用:道路交通法 | e-Gov法令検索)

※児童=小学生(6~12歳)、幼児=就学前の子(1歳~6歳)です

「子どもは歩道を自転車で走行しても良いよ!でもゆっくりね!歩行者が優先だから、もし自転車が歩行者の邪魔になりそうだったら、ちゃんと停まって歩行者を先に行かせてあげてね!!」ということですね。

13歳未満の子どもは自転車で歩道を走行して良い。ただし、条件があります – おたまの日記 (via petapeta)

Source: nasaniel

Posted by tamura on 26th 5月 2023 in Tumblr

ryotarox:

“国学者・本居宣長とはどんな人物なのか。大東文化大学の山口謡司教授は「古典の研究者としてすばらしい業績を残している。『古事記』や『源氏物語』に出てくる係り結びは、江戸時代には読解できなくなっていたが、宣長がその法則を発見したことで、現代人も日本語の古典を読めるようになった」という――。”

「古事記」も「源氏物語」も実は読解不能だった…日本語学の専門家が絶賛する「研究者・本居宣長」のすごさ 「係り結び」の法則がわかったから、読めるようになった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

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《「昔」と「今」の2つがあって、今の学者が昔を解読してる》だけではなく、《昔にはもっと前の昔を研究してる学者が居て、継承したり途絶えたものを解読して、今に伝えてる》というのが面白い。

ずっと繋がってると思うと、そうではなくて、途絶えたり修復したりしてる。

Source: nasaniel

Posted by tamura on 23rd 5月 2023 in Tumblr

y-kasa:

“ダイエット中のデブがケーキ屋さんに行って『私への配慮がない!』って喚き散らしても、「いや来んなよ」で終わる話なんよね。 ヴィーガンなんて個人が勝手に選んだ思想なんやから店に文句言ってないでニンジンかじってろ。”

メロソンーダ / Twitter

Source: nasaniel

Posted by tamura on 23rd 5月 2023 in Tumblr

conveniitekuru:

オロチ(Famicom Archivist)さんはTwitterを使っています: 「ファミコン通信1994年8月5日号より。ゲームソフトが安くなる方法について各メーカーさんに質問するコーナーで、いろんなメーカーの担当者さんが「そもそも安くならない」だの「裸のROMだけ売る」だの答えているなか、的確に未来を予言しているアイ・ジー・エスの櫻井さんすげえ。 https://t.co/16FOm2BgJS」 / Twitter

Source: nasaniel

Posted by tamura on 23rd 5月 2023 in Tumblr

tomorikenii:

“ChatGPTの返す結果の真偽は人間が確認しないといけないと感じる状況を目の当たりにして、Excelの結果が信用できなくて電卓を叩いたり、電卓の結果が信用できなくて算盤弾いてた時代に理解を示せるようになった。”

ゆやりんさんはTwitterを使っています

Source: nasaniel

Posted by tamura on 19th 5月 2023 in Tumblr

awarenessxx:

謝 蓮舫(しゃ れんほう)

Source: nasaniel

Posted by tamura on 19th 5月 2023 in Tumblr

lastscenecom:

“布団や洗濯物を天日干しすると、暖かく心地いい香りが漂ってくるでしょう。 世間ではこれが「直射日光で死んだダニの匂いだ」という噂がまことしやかに広まっています。 分析の結果、直射日光の下で干したタオルからのみ、香水の原料としても使用される化合物のアルデヒドやケトン、香辛料のカルダモンに含まれるペンタナールが検出されたのです。 さらには、柑橘系の爽やかな香りのもとになるオクタナール、バラのような香りがするノナナールなども見つかりました。 綿などの繊維に含まれるセルロースが直射日光によって分解され、脂肪酸やアルデヒドといった微量な揮発性物質を発生させることが確認されました。 こうした化合物が「お日様の匂い」の正体だったのです。”

「お日様の匂い」はダニの死骸じゃない!天日干しは香水成分が発生する – ナゾロジー

Source: nasaniel

Posted by tamura on 18th 5月 2023 in Tumblr

petapeta:

“平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。 また、ご列席のご家族の皆様方にも、心よりお祝い申し上げます。今年度の教養学部卒業生は175名で、そのうち女性は50名、留学生が1名です。 全学の式典はすでに午前中、改装されたばかりの安田講堂で挙行されましたので、ここでは教養学部として、あらためて皆さんとともにこの日を慶びたいと思います。 東京大学の卒業式といえば、もう半世紀も前の話になりますが、東京オリンピックが開催された年である1964年の3月、当時の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉が思い出されます。曰く、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。 当時、私はちょうど中学校にあがる年頃でしたが、この言葉は新聞やテレビでかなり大きく報道されましたので、鮮明に記憶に残っております。また、子供心に、さすが東大の総長ともなると気の利いた名言を残すものだと、感心したこともなんとなく覚えております。皆さんの中にも、どこかでこの言葉を耳にしたことのある人は少なくないでしょう。 ところが、これはある機会に一度お話ししたことがあるのですけれども、じつはこの発言をめぐっては、いろいろな間違いや誤解が積み重なっているんですね。 まず第一の間違いは、「大河内総長は」という主語にあります。というのも、これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用だからです。 東大の総長ともあろうものが、他人の文章を無断で剽窃したのか、と思われるかもしれませんが、もちろんそういうわけではありません。式辞の原稿を見てみますと、そこにはちゃんと、「昔J・S・ミルは『肥った豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい』と言ったことがあります」と書かれています。「なれ」という命令ではなく「なりたい」という願望になっている点が少し違っていますが、それはともかく、ここでははっきりJ・S・ミルの名前が挙げられていますから、これは作法にのっとった正当な「引用」です。ところが、マスコミはまるでこれが大河内総長自身の言葉であるかのように報道してしまった。そして、世間もそれを信じ込んでそのまま語り継いできたというのが、実情です。 次に第二の間違いですが、これはもっと内容に関わることです。じつは、ジョン・スチュアート・ミル自身は「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」とも「なりたい」とも、全然言っていないのですね。さきほど題名を挙げた『功利主義論』の日本語訳を見てみますと、こう書いてあります。 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。 大河内総長の言葉とはだいぶ違いますね。ちなみに、英語の原文はこうなっています。 It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. この原文を見ると、どうやらさきほど引用した日本語訳は正確なようですから、大河内総長のほうがこれをまったく別の文章に改変してしまったとしか考えられません。たぶん漠然と記憶に残っていた言葉を、自分の言いたいことに合わせて適当にアレンジしたのでしょう。その結果、「満足した豚」は食べたいものを食べたいだけ食べるということで「肥った豚」になり、「不満足なソクラテス」は食べたいものにも安易に手を出さないということで「痩せたソクラテス」になったものと推測されます。しかしこれでは原文とまったく違ったニュアンスになりますから、ミルが語った言葉として紹介するのはさすがに問題なのではないか。下手をすると、これは「資料の恣意的な改竄」と言われても仕方がないケースです。 ところが、間違いはこれだけではないんですね。じつは、大河内総長は卒業式ではこの部分を読み飛ばしてしまって、実際には言っていないのだそうです。原稿には確かに書き込まれていたのだけれども、あとで自分の記憶違いに気づいて意図的に落としたのか、あるいは単にうっかりしただけなのか、とにかく本番では省略してしまった。ところがもとの草稿のほうがマスコミに出回って報道されたため、本当は言っていないのに言ったことになってしまった、というのが真相のようです。これが第三の間違いです。 つまり、「大河内総長は『肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ』と言った」という有名な語り伝えには、三つの間違いが含まれているわけです。まず「大河内総長は」という主語が違うし、目的語になっている「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」というフレーズはミルの言葉のまったく不正確な引用だし、おまけに「言った」という動詞まで事実ではなかった。というわけで、早い話がこの命題は初めから終りまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいないのですね。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれ、今日では一種の伝説にさえなっているという次第です。 さて、そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。 今朝の本郷での卒業式では、学生代表の文学部の学生さんが、答辞の中でたいへんいいことを言っておられました。私も今朝初めて聞いたばかりですから正確には再現できませんが、おおざっぱに要約すれば、「どんな言葉にも名前が記されている。たとえ匿名の言葉であっても、それを発した人間の名前は刻印されている。しかしそれで自己規制したり沈黙したりしてはならない。私たちは自分の名前において言葉を語らなければならない」といった趣旨であったと思います。 まことにその通りで、これから皆さんが語る言葉には、常に名前が刻まれています。それは皆さんが普段名乗っているいわゆる「名前」だけでなく、東京大学という名前であり、教養学部という名前でもあります。ですから皆さんは、今後どのような道に進むにせよ、研究においても仕事においても、けっして他者の言葉をただ受動的に反復するのではなく、健全な批判精神を働かせながらあらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います。 ところで、もう一度「豚とソクラテス」に戻りますが、私ははじめてこの言葉を聞いたとき、子ども心に、どうして「肥った豚」か「痩せたソクラテス」のどちらかでなければいけないのだろうか、と不思議でなりませんでした。どうせなら「肥ったソクラテス」になればいいじゃないか、と思ったわけです。 そこで大河内総長の式辞原稿をもう一度見てみますと、そこには例の有名なフレーズに続けて「我々は、なろうことなら肥ったソクラテスになりたいのですが」とも書かれていました。じっさい、ソクラテスであるためには必ず痩せていなければならないという道理はありませんから、この点では私もまったく同意見です。ただ、ぶくぶくと肥ったソクラテスというのもなんとなくイメージしにくいですね。本日の本郷での卒業式では、この3月末で6年間の任期を終えられる濱田総長が式辞の最後でとどめの「タフ&グローバル」を口になさいましたが、ここではその濱田総長と、半世紀前の大河内総長に最大限の敬意を表して、2人の総長の合わせ技で「タフでグローバルなソクラテスになれ」、と皆さんに申し上げておきたいと思います。 さて、かく言う私も、この3月で教養学部長の任期は終了いたします。また、それと同時に、駒場の教員としても退職いたします。いささか恥ずかしげもなく月並みな言い方をすれば、今日は皆さんの卒業式であると同時に、私自身の卒業式でもあるわけです。人生のひとつの区切りを皆さんと一緒に迎えることができたというのは、何かのご縁かもしれませんが、ともあれこの壇上から式辞を述べるのも、これが最後の機会となりますので、私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。 それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。 きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう! 皆さんも、自分自身の燃えさかる炎のなかで、まずは後先考えずに、灰になるまで自分を焼きつくしてください。そしてその後で、灰の中から新しい自分を発見してください。自分を焼きつくすことができない人間は、新しく生まれ変わることもできません。私くらいの年齢になると、炎に身を投じればそのまま灰になって終わりですが、皆さんはまだまだ何度も生まれ変われるはずです。これからどのような道に進むにしても、どうぞ常に自分を燃やし続け、新しい自分と出会い続けてください。 もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。 皆さんの前に、輝かしい未来が開けますように。そして皆さんが教養学部で、この駒場の地で培った教養の力、健全な批判精神に裏打ちされた教養の力が、ますます混迷の度を深めつつあるこの世界に、やがて新しい叡智の光をもたらしますように。 万感の思いを込めて、もう一度申し上げます。皆さん、卒業おめでとう。 平成二十七年三月二十五日 東京大学教養学部長 石井洋二郎”

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 – 総合情報 – 総合情報

Source: nasaniel

Posted by tamura on 18th 5月 2023 in Tumblr

hkdmz:

“とある大学の数学の先生に、お子様がかけ算の順番で減点されたらどう対応なさるかお聞きしたところ、「本当はどっちでもいいんだ」と認めてあげた上で、「世の中には、馬鹿に合わせなければならない場面があるのだ」と指導するとおっしゃっていました。”

田中健一さんのツイート (via raiga01)

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Posted by tamura on 18th 5月 2023 in Tumblr

petapeta:

“大学1年の時に一般教養で民俗学を履修した。 一発目の授業で先生が 「この中で地方出身者の人挙手して」 と言ったので素直に挙手したところいきなり当てられ、出身県を尋ねられた。 これも素直に「群馬です」と答えたところ、「君んちは古い家系?」と尋ねられ、「まあ割と」と答えた。 すると先生は黒板にサラサラと略図を描き、 「君んち、大体こんな感じでしょ? まず家の北西に防風林、その手前に家神様の祠、これは多分お稲荷さんかな、そしてその反対、南東の方角にひょっとしたら馬頭観音を祀った碑があるかも。 違う?」 と。 完璧だった。 教室は激しくざわついた。 先生は教室が静まるのを待ち、 「皆さんは民俗学なんて得体の知れない、役に立たない学問だと思ってるかもしれないけど、こういう事ができるのが民俗学という学問です。 これから1年間、よろしくお願いします」 と微笑んだ。 未だにこれは最高の自己紹介であり最高の授業の始め方だったと思っている。 なんで馬頭観音かと言うと、群馬で古い家は大体養蚕農家だったことが多いからです(馬頭観音は家畜の守り神。蚕も立派な家畜の一種) ついでに言うと、防風林を構成する樹種の中に桑が多いこともピタリと言い当てられました。”

貝澤  カイザーさんのツイート: “大学1年の時に一般教養で民俗学を履修した。 一発目の授業で先生が 「この中で地方出身者の人挙手して」 と言ったので素直に挙手したところいきなり当てられ、出身県を尋ねられた。 これも素直に「群馬です」と答えたところ、「君んちは古い家系?」と尋ねられ、「まあ割と」と答えた。” (via playwith)

Source: nasaniel