““ ・自衛隊の人たちが読むフリーペーパーに、 寄稿を依頼されて、昨日、それを書きました。 書き出すまで、何をどう書くか決めてなかったのですが、 自然と、こんなことを書いていました。 …”
Posted by tamura on 8th 10月 2021 in 未分類
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・自衛隊の人たちが読むフリーペーパーに、
寄稿を依頼されて、昨日、それを書きました。
書き出すまで、何をどう書くか決めてなかったのですが、
自然と、こんなことを書いていました。
じっと嘆きながら見つめていたら、
瓦礫の山が片付くのなら、どんなにか楽だろう。
徹夜で語り合っていれば、
行方不明の人たちが見つかるのなら、
どれほどうれしいだろう。
しかし、そんなことはあるはずもないわけで、
じっと嘆きながら立ちすくんでいたら、
状況は何も好転しない。
おそらく悪くなっていくばかりだった。
長くなりましたが、そのままここに再録しました。
寄稿を依頼されて、昨日、それを書きました。
書き出すまで、何をどう書くか決めてなかったのですが、
自然と、こんなことを書いていました。
じっと嘆きながら見つめていたら、
瓦礫の山が片付くのなら、どんなにか楽だろう。
徹夜で語り合っていれば、
行方不明の人たちが見つかるのなら、
どれほどうれしいだろう。
しかし、そんなことはあるはずもないわけで、
じっと嘆きながら立ちすくんでいたら、
状況は何も好転しない。
おそらく悪くなっていくばかりだった。
誰かが、具体的に、その場面を変えていかねばならない。
人々がおろおろしている時、
すでに、現場には自衛隊がいた。
何をするべきかをわかっている人々が、
黙々とそのすべきことを続けていた。
ありがとう、と思った。助けられた、と思った。
手をこまねいているばかりだった人々からの、
自衛隊への「ありがとう」のことばは、
働いている隊員たちの背中にかけられた。
彼らは、忙しくやるべきことをしていたので、
お礼や応援のことばに、振り向くことさえしなかった。
黙って、手を足を頭を、そして心を使っていた。
たまに写真で見る隊員たちの表情は、
若くて、しっかりしているけれど、
幼さも残っているようにも見えた。
誰かの息子であったり、誰かの夫であったり、
だれかのおとうさんであったりする若い人たちは、
被災の現場の人たちだけでなく、
離れた場所でじぶんの無力と共にある
ぼくらの心までも救ってくれたのだった。
長い間、ずっと背中に向けて言うしかなかった
心からのありがとうを、
この場で、向き合って言えることを、
ほんとうにうれしく思っています。
言うことは、ただそれだけです。
ほんとうに、ありがとう。
長くなりましたが、そのままここに再録しました。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
台風の日にもたくさんの「現場」が、働き続けています。
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– ほぼ日刊イトイ新聞 – 目次 (via goshi54)”
– (via tkdsngn)