“インターネットの便利さに慣れてしまった私たちは、ネットで調べる簡単さと”引き替えに”深追いしない癖がついてしまいました。”
“インターネットの便利さに慣れてしまった私たちは、ネットで調べる簡単さと”引き替えに”深追いしない癖がついてしまいました。”
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Googleというネットの巨大なメディアに支配される脅威:独断と偏見の気になる情報セキュリティ – CNET Japan
一般論のように、「誰もが」みたいに言われてもな…。
検索結果もKnolやWikipediaも、基本は誰かが書いた記事を提示してるだけ。
深追いしない癖なんてついてない、むしろググるなりWikipediaを読むなりを入り口に、見つけた文献や一次情報にあたって、あるいは検証して、インターネットの便利さに慣れて深追いする癖が助長された人たち。そんなオーサであり、エディタであり、パブリッシャである「深追いする人たち」の数が「インターネットの便利さ」の根底を支えてる。
そしてその「インターネットの便利さ」の表面を、GoogleやWikipediaが再登場し、整えている。
「インターネットの便利さ」って、構造としてそういうものだと思うし、それに言及した時点で、多数の深追いする人たちの存在を下敷きにしか論じられないと思うんだけど。
それともそうした深追い癖を深めた人たちになれなかった、レストオブアスとしての「私たち」を論じて自戒してるのかな?
(via tsukamoto)
インターネットを使うようになって、本を読む量は圧倒的に増えた。
ネットのおかげで図書館使いまくりなわけだが。本を読むとネットに無い情報がいかに多いかがわかる。そりゃGoogleもスキャンしまくるわけだ。
知的探求心がネットで疎外されているという論理立てが全く理解不能
関係ないとしか思えん
(via yaruo)
(via quote-over100notes-jp)